ふんどしの証言

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証言番号

証言 1: 2011/07/22
ハンドルネーム
ふどし
年齢 性別 職業 居住地
44歳 男性 教職員 広島県
表題
ふんどしとの出会い
本文

私とふんどしとの出会いは漫画・テレビアニメの「いなかっぺ大将」でした。

主人公の風大左ェ門君(大ちゃん)が締めている赤ふん(赤い越中ふんどし)に憧れたのです。

最初は漠然と憧れていただけだったのですが,実際に締めてみたいと思い立ったのは以下の事情によります。5歳年上の姉が購読していた,「小学二年生」という雑誌(学年は確かそれで合っていると思います)のバックナンバーに「いなかっぺ大将」が連載されており,その「お便りコーナー」に次のような投稿を見つけたのです。

ぼくは,大ちゃんが,大すきなので,ふんどしつけてるんだ。

それに対する「大ちゃん」の回答,

ふんどしは,きもちがいいだすよ。

(漢字や句読点は違っているかもしれません)

その記述から,ふんどしは気持ちが良いらしいこと,また,自分と同年代の子どもがふんどしをつけていることを知り,自分もふんどしを締めてみたくなりました。9歳の頃だったと思います。

とはいえ親に言って作ってもらうわけにもいかず,自作することにしました。越中ふんどしの形状や締め方はわかっていましたので,家族がいないのを見計らって,たんすから生地(白の綿ブロードだったと思われます)を失敬し,はさみで体に合わせて切り,ふんどしを作りました。本体も紐も布を切っただけ,それを糸で縫い合わせただけの代物でした。本体の幅は15cmほど,長さは80cmほどだったのではないかと思います。いよいよ締めるときにはドキドキしました。越中だからあっという間に締め終わると股間がすうすうして何か変な感じ(笑)。気持ちが良いような,悪いような,そんなふんどし「初体験」でした。

さて,締めてみると人に見せたくなるのが人情(笑)というもので,友人の家に,半ズボンの下にふんどしを締めて遊びに行ったことがあります。トイレに入った時,その友人に覗かれ(トイレを覗くのは子どもの習性ですね),しっかりと見られました。その後,学校で友人にふんどしのことを言いふらされ,大分弱りました。

本格的な既製品の越中ふんどしを購入したのは確か中3の時。まだ「さらし」というものの存在を知らない頃で,思いのほか生地のきめが荒く,その分肌触りが良いことに驚いた記憶があります。六尺ふんどしも中学生になって小遣いが割と自由に使えるようになってから,生地を自分で購入してチャレンジしましたが,締め方がよくわからず,我流で締めていました。正しい締め方がわかったのは18歳頃になってから,その頃はさらしの存在を知り,さらしでふんどしを作るようになっていました。

その後は市販の越中ふんどし,さらしや新モスの自作の六尺ふんどし,さらには相撲まわしなどにも幅を広げ,「ふんどしワールド」を楽しんでいます。ただし完全常用化にはいまだ至らず,今夏より職場ではトランクス,プライベートではふんどしという「準常用」化を予定しています。

運営者より
第1弾として,恥ずかしながら不肖私,ふどしの,「ふんどしとの出会い」の証言を掲載しました。

証言 2: 2011/08/04 10:35
ハンドルネーム
凡二郎
年齢 性別 職業 居住地
61歳 男性 自由業 海外
表題
褌と姿勢
本文

六尺を締めると自然に腰が伸びて姿勢が良くなります。戸外を歩くと背筋がピンと伸びて徒歩の速度が速くなるのが解ります。これは私だけの現象ではなく、他の方も経験されているかどうか伺いたいものです?

理由は臍下の丹田に横みつが接触するので、自然に丹田に力が入るのではないかと私的に解釈しております。瞑想する際に丹田に意識を集中して呼吸を整えるのが最初の心得ですが、その姿勢だと猫背にならずに瞑想を続けられるので、歩く際にも姿勢に同じ影響があるのでは?

まあ褌を締めなくとも、丹田に意識的に力を入れても同じですが、締めていると無意識のうちに力が入るので簡単に効果が得られると思います。

越中褌だと、姿勢への改善効果はどうでしょうか?

運営者より
凡二郎様より,「褌と姿勢」についての興味深い考察をいただきました。確かに六尺ふんどしを締めると姿勢が良くなるような気がしますね。もっとも私の場合,歩く速度までは速くはなりませんが・・・。越中ふんどしでは,姿勢への改善効果は得られないと思いますよ。ふどし 拝

証言 3: 2011/08/14 10:08
ハンドルネーム
凡二郎
年齢 性別 職業 居住地
61歳 男性 自由業 海外
表題
浮世絵と褌
本文

何年か前にロンドン旅行の際に、初回訪問者必須コースである大英博物館に行きました。

週日だったために幸いにも混雑しておらず、アレマア、フーンなどとお上りさんらしく展示物を眺めていると、特別展示会で日本浮世絵展があるのに気付きました。特別展のため、わずかながら別料金徴収で、更に見物客はおらず、まるで一人独占状態で見物できました。

だんだん進むうちに、浮世絵コーナーとなり、何となく書物で見た浮世絵がずらりと展示されており、その中に遊郭客が褌一枚で、その客を両サイドから二人の女郎さんが褌の横みつを引っ張りながら「わちきの方へ来んなまし」とばかり奪い合っている絵目が止まりました。

後日になってわかったのですが、当時は生地が高価なために、一般庶民には褌を締めるなどという余裕はなく、褌を締められるのはそれなりの金持ちだけに限られた(あるいは金持ちを装う)スタイルだったとか。

なるほど、お女郎さんも「裕福そうな御仁よ、是非とも御贔屓にしてくんなまし」とばかり、ついつい客を奪いあったというような社会背景があったのでしょう。遊郭やお女郎さんの制度についての是非はともかく、当時の風俗がよくわかる浮世絵展でした。どなたか、その浮世絵が誰の作品か御存知の方おられますか?

その他に、いわゆる春画も沢山展示されており、まさか大英博物館でお目にかかろうとは思わぬ驚きでした。

それをほぼ一人占め状態でゆっくり鑑賞。あれは、おそらく日本の博物館とか収集家とかから協力があってこそ可能であったに違いありません。本家の日本では、いわゆる秘宝館はともかく、超一流の博物館では展示が無理じゃないかと思ったりしております。

運営者より

凡二郎様より,大英博物館の浮世絵展における「浮世絵と褌」のお話をいただきました。

明治時代,浮世絵は日本より海外で高く評価され,第一級の作品がどんどん海外に輸出されていったそうですから,おそらくそのコレクションが大英博物館に保存されていたのでしょう。

江戸時代には安価な綿織物が普及し,庶民もふんどしを締めるようになっていたようです。ですので,件の浮世絵の客人は,ちりめんなどの超高級「おふんどし」を締めていたのではないでしょうか?

浮世絵におけるふんどしについては,当サイトからもリンクさせていただいているWa☆Daフォトギャラリー内のふんどし談義において,詳しく紹介されています。興味のある方は一度ご覧になってはいかがでしょうか。 ふどし 拝


証言 4: 2011/09/03 10:25
ハンドルネーム
陽気パパ
年齢 性別 職業 居住地
(無記入) 男性 (無記入) 大阪府
表題
夏のアレルギー対策
本文
私は普段ブリーフを愛用しています。夏場(6月頃から9月頃まで)は、履いていて蒸れることは勿論ですが、気温が高くなるとアレルギー体質なのかブリーフのゴムにあたるところが蕁麻疹(ミミズ腫れのような)がおきます。皮膚科では、「最低気温が26度以上の日が続くと、このようになる人がいます。」との事。この症状は毎年なります。その間はブリーフをやめてふんどしにすると症状が楽になります。ゴムの締め付け感がなく、ふんどしは、やや緩めに締めます。又、ふんどしは、Mサイズ、L~LLサイズと何種類もなくエコだと思います。
運営者より

「陽気パパ」様より「夏のアレルギー対策」と題するお話をいただきました。

肌の弱い人は,ゴムで締める肌着だと,汗をかくシーズンには辛いものがありますね。その点,ふんどしはゴムを使用しないので大丈夫です。そんなところにも,ふんどしの隠れた長所があると思います。 ふどし 拝


証言 5: 2011/10/12 09:36
ハンドルネーム
締め込み
年齢 性別 職業 居住地
80歳 男性 年金生活者 海外
表題
思い出
本文
戦時中、中学では教錬の授業があり、教官は陸軍士官が受け持っており、寒中生徒全員裸にされ校庭を走らされました。 その際ほとんどの生徒は猿股を着けていましたが、中には六尺ふんどしを締めている者もおり、(私もその内の一人でした。)その者は走る距離が短くされ寒さに震えることを多少免れる結果になりました。 寒さが厳しくなるにつれて、六尺ふんどし姿の生徒が増えて来るのを目の当たりにしました。 又必修科目として剣道、柔道、相撲の何れかを選択せねばなりませんでしたので、ガリガリの痩せた体を晒すことに耐えて相撲をえらびました。(用具を揃えるのも最も費用がかからず助かりました。) 稽古は厳しく体中打ち傷擦り傷が絶えませんでしたが、自分に打ち勝つ心を培うことが出来て、海外生活の上で大いに支えになりました。
運営者より
締め込み様より,戦時中の中学校におけるふんどし事情についての大変貴重な証言をいただきました。裸で校庭を走る際,六尺ふんどしを締めていれば走る距離を短くされたというのは,当時としては粋な計らいだったのでしょう。締め込み様,ありがとうございました。 ふどし 拝

証言 6: 2011/10/22 16:44
ハンドルネーム
締め込み
年齢 性別 職業 居住地
80歳 男性 年金生活者 海外
表題
川遊び
本文
確か小学五年生の頃と思いますが、近所の腕白同志三人と近くの川へ遊びに行った時、川岸で六尺ふんどし姿になり流れが緩く少し深い所で泳いで、わいわい騒いでおりました処、一天俄かにかき曇り雷が鳴り出すと共に大粒の雨がざあっと降りはじめました。 慌てて直ぐ陸に上がり帰宅しよ うとしたのですが、脱ぎ捨てた服はすっかりびしょぬれで着替えることが出来ず、全員六尺ふんどし一丁のまま、濡れた服を抱え一目散に走りだしました。
途中、バスが走る大通りを通らねばならず、市場もあって人で込み合っている所を通ることになり、必死で駆け抜けようとしたのですが、八百屋や魚屋のおじさんたちから「坊主、雷神さんに臍を取られるぞ。」と脅されるやら冷やかされるやら散々な目に会ってしまいました。 体中びしょ濡れ、六尺ふんどし姿が恥ずかしいと皆感じて、しばらく市場の真ん中で立ちすくんだ事を思いだします。臍を取られなかった代わりに、全員風邪を引いて二日ばかり床に就くとゆうおまけまで付きました。
運営者より
締め込み様より,川遊びのほろ苦い(?)思い出話をいただきました。当時としては災難でしたが,今となっては微笑ましい思い出でしょう。お歳から推察すると昭和10年代の出来事と思われます。戦時中の子どもたちの褌事情を知る貴重な証言をいただきました。ありがとうございました。 ふどし 拝

証言 7: 2013/05/03
ハンドルネーム
1151
年齢 性別 職業 居住地
80歳以上 男性 無職 東京都
表題
男性用水着の変遷その他
本文

昭和10年頃から30年代まで。

昭和10年頃の海水浴場、プールでの男性用の水着は、ワンピース型、黒猫及び6尺褌でした。

ワンピース型は、オリンピックで用いられており、黒猫に比べて高価であり、一種のステータス・シンボルでもありました。しかし見た目があまりよくないので、下に黒猫を着用するようになりました。庶民は、黒猫か簡単な6尺、正式に水泳を習った者は、その流派の6尺でした。

昭和12年に日中戦争が勃発、翌13年には物資不足が始まり、14年には「贅沢は敵だ」の標語で、布地の使用が、黒猫に比べて贅沢なワンピース型が排斥され、黒猫、6尺が主流となりました。更にこの傾向に拍車をかけたのが、今では考えられませんが、「日光浴の奨励」でした。学校では夏休み後に、くろんぼコンテストのような、日焼けの調査があり、その為にも、ふんどしの着用が必要になりました。

戦後も、昭和21年の国体の水泳では、6尺が用いられ、また22年頃から黒猫も市販され、昭和35,6年頃まで、雑貨屋の店先にぶら下げられていました。その後はデパートでパンツ型の水着が使われるようになりました。

以上、水着について述べましたが、過去の黒猫にすこし触れておきましょう。前袋の生地は薄くて、黒い麻で出来ていまあした。横褌は少し太いひも、後立褌は僅かな幅のあるだけで、日光浴には絶好でした。しかし、横褌が紐ということもあり、体に密着するのは、着用したときだけで、あとは常時、形を直したり、横褌の紐、とくに後立褌を引きあげなければなりませんでした。不便な点といえば、水からあがったとき、前袋が溜まった水でずりおちる事、砂地に座ったとき、尻に砂が付きあとで洗わなければならないことくらいでした。便利なことと言えば、前袋に簡単に手を入れることが出来るので、トイレが便利、また内部の形を変えることが出来たことでしょう。

次に6尺褌ですが、特に流派の指導を受けたことがないので簡単に締めていました。前袋型で、半幅を使用、「締め方」のステップ4の後、ステップ7のように交差させず、後ろに回した布を8のロの部分に巻きつけていましたが、これで不便を感じることはありませんでした。

相撲回しは、初めてのとき、何度も初めからやり直したことが記憶に残っています。なお、質問20の「向き」ですが、上向きだと、座って胡坐をかくと、踵が前袋を押し上げて、前袋の右端が開放され、内部の向きがよく見えたのを覚えています。

最後に越中ですが、都会の中学生は猿股が多く、一部が越中、田舎では越中が多かったようです。しかし、軍関係の受験の際は越中、徴兵検査の際には越中に履き替えることが多かったようですが、地方によってかなりち違いがありました。

なぜ越中を止めた理由ですが、戦後、PXで米製のブリーフを入手したからです。こちらの方がトイレのとき、あとなどで便利だったからです。

運営者より
1151様より,戦前,戦後のふんどし事情について貴重な証言をいただきました。ありがとうございました。 ふどし 拝

証言 8: 2013/05/19
ハンドルネーム
海どじょう
年齢 性別 職業 居住地
62歳 男性 年金生活者(兼団体職員) 山口県
表題
水着としての六尺褌の締め方
本文

一昨年秋の『褌アンケート』にも書きましたが、私が最初に水着として六尺褌を締めたのは、小学4年生(昭和36年)の水泳訓練の時です。この時は、六尺褌着用は強制ではなく、あくまで推奨でしたが、成績上位者のほとんどが、白の六尺褌(幅は1/3~1/2幅)を着用していました。

その時に父と祖母から最初に教わったのは、先生が「褌の研究」に掲載していらっしゃるBの締め方の簡略版でした。つまり胴回りを回してきた褌の端を、縦ミツに引っかけ手折り返した後、仮止めせずにそのまま横ミツに巻き込んでいきます。肩にかけていた方の端は股間を通す時に2・3回巻き付けて前袋の下端がずれないようにしてから、腰まで引き上げて先ほどとは反対側の横ミツに巻き込んでいきます。

水泳訓練の際に、4年生の六尺褌着用者全員がゆるフンになってしまった際に、担任のM先生(終戦時満州の陸軍航空隊で一式戦「隼」に搭乗していた陸軍中尉)が手本を示して下さったのも、この締め方でした。その際に、M先生が注意されたのは、「乾いた褌で水に入ると、濡れた布が伸びて褌がきっと緩んでくるから、最初に水から上がったら、必ず折り返して横ミツに巻き付けた方の端を一旦緩めて、増し締めをするようにしなさい。もう少し大きくなったら、水中で立ち上がって、一度褌を完全に解いて、最初から締め直すのも良いのだがな。褌が緩んだままで泳いでいると、やがて解けてくる。解けた褌が足に絡まると溺れてしまうぞ。」ということでした。

小学学生のときは、腕力が弱くて、褌を堅く締めるのが難しく、川に入るとすぐに緩んでくるので、この先生の教えをまもって、すぐに水中で褌の増し締めをしていました。

私は、一人だけ地元の中学校ではなく、大学の附属中学校に進みました。そこではちょうど、男子の指定水着が赤六尺褌から黒ナイロンの競泳パンツに替わる過渡期で、1年生の時は男子全員が赤六尺褌強制でしたが、2年生からは体育教官の許可を受ければ赤褌の上に黒ナイロン競泳パンツを穿いてよいことになりました。結局3年生まで赤六尺褌だけで水泳訓練を受けたのは、クラスの男子22人中7人だけでした。

当時でも、市街地の小学校では、男子の水着は水泳パンツが一般的で、六尺褌で泳ぐことが推奨されているのは、学区内の貧富の差が極めて大きい1校だけでしたので、大多数の生徒は、中学生になって初めて六尺褌があることを知り、初めて締めることになりました。

そのため、水泳訓練の前に「六尺褌締め方講習」が1時限使って行われ、その際に私のような小学生時代に六尺褌で泳いでいた者が、講習の助手を務めさせられました。この講習助手を務める生徒に、「六尺褌締め方講習」を実施する前に、学校として統一した褌の締め方を教える事前講習が行われました。

その際に、体育教官のH先生(帝国海軍の予科練甲飛出身者、戦後師範学校に入り直して教師になられた)から教えられたのは、先生が「褌の研究」に掲載していらっしゃるAの締め方です。ただし、肩にかけていた方の端を股間に通した後は極力縦ミツに巻き付けるようにすることが異なっていました。

私達六尺褌経験者が、自分たちの締め方と違うと言って、私とK君、S君、N君がH先生の前で締め方を実演したところ、先生は「君達の締め方は、陸式(陸軍式の意、旧海軍出身者が陸軍のやり方を揶揄する上から目線の言い方)だな。確かに陸式は、初心者や腕力のない子供でも、見た目はきちんと締めやすいし、増し締めもしやすいかわりに、長く泳ぐと緩みやすいぞ。先生が見本を示した海軍式は、慣れないとキレイに締めにくいし、一旦締めたら増し締めは難しい代わりに、長時間泳いでも緩みにくいぞ。」おっしゃいました。

しかし、私達の学年は、「初心者に教えやすいし、緩んだ時に増し締めがたやすい。」という、もう1人の体育教官のN先生の意見が通って、陸式の締め方が教えられ、私達も無事講習助手を務めることができました。

海軍式の締め方は、2年生の夏に行われた任意参加の臨海学校の際に、海で泳ぐ時に使用しただけで、私自身は、今日までずっと陸式の締め方で来ています。ちなみに、九州屋の六尺褌に添付されている「六尺褌の締め方説明書」や、各褌専門店の締め方画像の多くもこの陸式です。

運営者より
海どじょう様より,戦後の小中学校におけるふんどしの締め方の教育に関する,興味深い証言をいただきました。ありがとうございました。 ふどし 拝

証言 9: 2014/06/01
ハンドルネーム
1151
年齢 性別 職業 居住地
80歳以上 男性 無職 東京都
表題
「証言7」の補足
本文

前回の投稿から1年経ちました。

多少、補足したいと思いますので宜しくおねがいします。

質問8に「恥ずかしさ」についての感想がありましたので、これについて、少し私見を述べさせて頂きます。多少ともご参考になれば幸いです。

他人と同じであれば、恥ずかしくないと感じる人が多いと思います。昔の海水着は股間がしっかり覆われているのに対して、麻の黒猫は前袋の側面が開放的でした。しかし、他人も同じものを使用しているので、恥ずかしさは感じませんでした。昭和15年ころだったと思いますが、私はまだ小学生でしたがプールに行きました。このとき、一人だけ黒猫の上に海水着を着ていた者がいました。午前中はそのままでしたが、一人だけ厳重に股間を保護しているのが恥ずかしくなったようで、午後は黒猫だけになりました。しかし、戦後のことですが、これと反対のようなこともありました。近所の中学生数人と近くの小川に水浴びに行きました。夏だったので、私は黒猫を着用していましたが、誰も何も着けていないので、一人だけ褌というのは恥ずかしいので、黒猫を脱いで水を浴びたり、日光浴をしました。

質問9に「エピソード」があります。褌が珍しい現在、初めての着用時に興奮するのは珍しいことではないでしょう。時代の違いで私の場合はそのようなことはありませんでした。しかし、臨海学校で殆ど一日中黒猫で過ごした際、日光浴をしていると、現在なら携帯でも見ているところでしょうが、黒猫だとやはり前袋が気になって、人が近づいたりすると、手を中に入れで形を整えたりするので、興奮してテントのような状態になり、息をこらせて、収まるのを待ったものです。戦後、田舎の病院で検査を受けたときのことですが、たまたま看護婦が休みで、アルバイトで来ていた若い女性に褌を取られ、その状態で、入念に各器官をチェックされ、その状態の変化を至近距離で観察されました。これが今までで最も恥ずかしかったことです。また、これとは全く関係ありませんが、あるとき尻に筋肉注射をすることになりました。前の患者は越中で何事もありませんでしたが、私は黒猫だったので、仰向けになるため前袋を整えていたところ、これを見ていた看護婦が「キンツリですね」と言ったので、他の看護婦も見学に来ました。このこきばかりは完全に興奮しましたが、生理現象だと思って笑ってすませました。

時間が戻りますが、日中戦争が始まると、ご婦人方は「千人針」の製作で多忙でした。晒しで全幅のものですから、褌として使えないことはありません。実際に着用をしたり、試みるのを見ましたが、腹巻として使用され、褌として常用した人はいなかったでしょう。赤糸がない部分に敵弾をうけ血染めの千人針をデパートで展示されていたのをみました。出征兵士に送る「慰問袋」が作られました。我が家では、袋をさらしの布でつくり、中が空になるとそのまま褌として使えるように作っていました。

戦時中は海水浴に行く機会も少なくなり、黒猫は夏季、暑さを避けるための下着として使用しました。まだ空襲のないころは、水を水道、井戸から屋外の防火水槽に黒猫姿で運ぶのが見受けられました。近くの木工所では、黒猫だけで板を削っているのが見受けられました。特に若い人の場合、格好よくみえました。しかし、これはあくまで室内作業で、屋外での農作業などは、下着は褌でも日光を避けるため厚着をしていました。黒猫はまた炭鉱の坑内でも使用されました。

戦前は徴兵検査がありました。全裸での検査の写真がありますが、あれは全国ではありません。特に、越中褌が常用されている地方では聞いたこともありません。もっとも、普段越中褌を使用していない人も、このような検査の場合には越中褌を使用したものです。

水着の話に戻りますが、YMCAのプールでは昭和33年ころまで、褌など着用不可でした。利用するため出かけたところ、「簡単な内臓検査」がありました。内臓と言って体外の部分というか、内臓の有無の調べでした。

戦後、昭和23年ころだったと思いますが、地方でのショーで女性が黒猫を使っていました。この頃はまだ適当な下着がなく、ありあわせの布を絆創膏で下腹部に貼っていたのですが、剥がすときの痛さで苦労したことが、当時の雑誌の記事にありました。少し形は悪いが黒猫ならこの苦労はなかったことでしょう。また、昭和30年くらいまでは、婦人雑誌に越中褌がT字体として使われていたことが書いてありました。

未だ占領下での話しですが、ある地方都市で、米軍家族の慰安というか、日本文化の理解のためか、相撲を見ようということになり、市当局はかなり困惑したようですが、当時のアマチュア横綱もいたので、通常のまわしをして取り組みをしたのですが、家族からは大変喜ばれ、特に横綱の土俵入りは好評だったようです。場所はボクシングジムだったと思います。

「はみ毛」その他について。小学生のときは、黒猫のみを使用していましたが、この点は心配無用でした。中学校に入ってからは、半幅の6尺との併用でしたが、はみ毛については海水浴場などで、小学生との区別だと思ってそのままでした。黒猫もLサイズでは腹部全体が大きく覆われてしまうので、出来るだけ小さいのを使いました。6尺の場合の向きが質問にありましたが、私は考えたことはなく、ただ前袋の内容全体をまとめて、出来るだけ上の方に持っていきました。「はみ毛」といえるかどうかわかりませんが、その後の脇の毛も、勿論そのままです。ついでに、女性の場合ですが、戦前は、女優を除いて腋毛は取りません。下腹部もハイレグの水着がありませんから同様です。女性が腋毛の心配をするようになったのは昭和30年代で、男性が褌のはみ毛を気にするようになった時代とかさなります。

昭和30年代は、変化の多い時代でした。戦後が終わったというか。

なお上記文章中の「黒猫」は昭和30年ころ以前のものについてです。

運営者より
1151様より,戦前戦後の黒猫ふんどしを中心とした事情に関する,非常に興味深い証言をいただきました。ありがとうございました。 ふどし 拝

証言 10: 2015/04/20
ハンドルネーム
海どじょう
年齢 性別 職業 居住地
64歳 男性 年金生活者(兼団体職員) 山口県
表題
水着として六尺褌を使った経験(幅と色を中心に)
本文

2013年に、水着と六尺褌を着用する時の締め方について、陸式と海軍式があると書き込んだ者です。
昭和30年代後半に、小学4年生から中学3年生までの間、学校の水泳訓練でも自宅の水遊びでも、ほとんど六尺褌一本で泳ぎ続けた経験から、水着としての六尺褌の幅と長さのことを中心に、少し書いてみることにします。

1 小学生時代(昭和35~37年)
前回書き込みましたように、私の通った小学校では、4年生以上の児童を対象にして、近くの大きな川で、夏休み前におおむね3回、1回2時間の水泳訓練が行われていました。水着はどんなものでも良かったのですが、当時でも男子の水着はほとんど水泳パンツ(綿100%かナイロンが少し入った綿との混紡)でした。
私が4年生の時から3年間だけは、4年生の時の学級担任で体育主任だったM先生の発案で、男子は出来るだけ六尺褌を締めるように推奨されていました。しかし、実際に六尺褌一本で水泳訓練を受けたのは、同学年男子30名のうちで成績優秀者6人(学級委員の常連で、定期的な現金収入がある比較的裕福な家庭の子)だけでした。
4年生の時水泳訓練が始まる前に、六尺褌についてM先生から指示されたのは、「①小学生の間は、褌の幅は12~18㎝(新モスの1/3幅ないし1/2幅)とする。これ以上幅が広い褌を小学生が締めると、水を吸った時重くなり、腿の動きも邪魔して泳ぎにくくなるから不可。 ②黒や紺のような濃い色は、万が一溺れて水に沈んだとき見付けにくいから不可。出来るだけ白褌が望ましいが、色物の場合は黄色か水色、せいぜい明るい赤までとすること。 ③むやみに長いものは、締め込みが甘くなりやすいので不可。横ミツに巻き付けた先が、両脇で収まる程度の長さが望ましい。④男子はヒモで締めるお椀型の水泳帽を被って欲しいが、無ければ泳ぐ間は、女子と同じ白鉢巻きをすること。」ということでした。
六尺褌一本で、6年生まで水泳訓練を受け続けた6人の締めていた褌の内訳は、白褌が4人、明るい赤褌が2人、幅は、私とT君だけが1/3幅で残りの4人は半幅だったように記憶しています。
私の母はハイカラさんだったので、家の前の川で水遊びするときに、私が白褌一本でいるのをとても嫌がって、紺色で綿100%の水泳パンツを買ってきて必ず穿くようにと厳命していましたが、小太り気味の私は、木綿の水泳パンツを穿くと重くて泳ぎにくいので、家と川との行き帰りの間だけ水泳パンツを白褌の上に穿き、川で泳ぐときはいつも白褌一本でした。当時でも、同じ集落の小学生十数人の中で、六尺褌一本で泳いでいるのは私の他には6年生のガキ大将1人だけでした。

2 中学時代(昭和38~40年)
前回書きましたように、私は1人だけ地元の中学校に進まずに、当時市内で唯一男子の長髪が許されていた国立大学の附属中学校に進みました。ここでは、ちょうど男子の水着が赤の六尺褌から競泳用の黒ナイロンパンツに移行する過渡期に当たっていました。
1年生の時は、男子全員が強制的に赤褌一本で水泳訓練を受けさせられましたが、その時は幅15㎝・長さ220㎝の赤又は臙脂の六尺褌を、学校指定の運動具店(2店あって、色が赤と臙脂に分かれていた)から1本60円で購入させられました。今も実物が残っていますが、手触りからすると、生地は新モスではなくて薄手のブロードかキャンブリックではないかと思われます。
ほとんどの1年生男子は、この中学校に入って初めて六尺褌を締めることになったのですが、水泳訓練前の「六尺褌締め方講習」で六尺褌一本の裸になってみて、体を隠している布地の面積が余りに少ないことに愕然として、体育教官に文句を言うものが続出しました。
それに対して体育教官のH先生と教務主任のM先生は、「男の水着は、大事なところが隠れるだけのその赤褌一本で十分だ。水泳訓練中に溺れそうになったとき救助するにも便利だし、大学から借りて使用するプールの水を汚さないためにも布地の面積を少なくする必要があるから、男子の水着は赤六尺褌としているのだ。文句を言う者は、全裸で泳がせるぞ。」と言って、押し切ってしまわれました。

2年生になると、父兄からの苦情に押されたのか、体育教官に父兄の承諾印が押してある「水泳パンツ着用許可願」を出せば、下に赤褌を締めれば上に競泳用の黒ナイロンパンツを穿いて水泳訓練を受けてもよいことになり、同学年の男子約90人の内赤褌一本で水泳訓練を受ける者は、20人そこそこに激減してしまいました。私は、競泳用のパンツでも、泳いでいるとお尻とパンツの間に水が溜まってくるし、脚の付け根を締め付けられると平泳ぎの蛙足がやりにくくて泳ぎにくいので、許可願は出した(と言うより母親から出すように強制された)ものの、結局3年生まで赤褌一本で水泳訓練を受け続けました。
2年生の夏休みには、テストケースと言うことで、任意参加の臨海学校(水泳訓練のみに近いもの)が、4泊5日の日程で瀬戸内の海水浴場で行われました。2年生は総員176名でしたが、この臨海学校に参加したのは半分に満たない70人強でした。参加者が少なかったのは、正味4日間も毎日7時間水泳訓練でしごかれてはたまらないというのが最大の理由でしたが、男子の水着は六尺褌一本だけ、しかも夏休み直前になって、現地調査の結果、訓練場の海水浴場では思いの外海水の透明度が低いので、事故防止のため赤褌を止めて白褌を使うことになったためでもありした。
一般の海水浴客がいる前で赤褌一本になることさえ躊躇していた大多数の男子は、水に濡れれば中身が透けて見える白褌で泳がされると聞いて、恐れをなして参加を取りやめてしまったのです。
私がこの水泳訓練の時に締めたのは、新モスを半分に裂いたただけの、幅18㎝・長さ230㎝の白褌でした。確かに白褌は、泳ぎ終わって水から上がった当座は中身が透けて見えるので、訓練初日は少し恥ずかしく感じましたが、訓練が本格的になった2日目からは、厳しい訓練に追い立てられて、濡れた白褌が透けて見えることを気にしている暇など無くなり、夕方宿谷に帰る頃には、中身が辛うじて隠れる程度まで狭くなった前袋を直すことにも気付かないほど疲れ切って、弛んだ前袋の横から中身が覘きかけたままで、フラフラしながら歩いていました。

この臨海学校の夜の雑談で、体育教官のH先生(旧帝国海軍予科練甲飛出身、戦後師範学校に入り直して教師になられた方)が、私達白褌一本で水泳訓練を受けた40人余りの男子に対して、
 「先生は、男子を海の水泳訓練で鍛える時の水着は、あらゆる面の安全を考えると、白の六尺褌が最適だと考えている。先生が予科練で鍛えられていた頃、水泳訓練の時着ける水泳帯(六尺褌)は、白の晒し木綿を半分に裂いただけのものだった。
ただ、他の航空隊との競技会に出場するような選手は、少しでも速く泳ぐために、チンコと金玉がやっと隠せる程度の、晒し木綿の1/3幅(10~12㎝)くらいで、もっと目の詰んだ薄い生地の水泳帯を締めていた。お前達も、少しでも速く、遠くまで泳ぎたいのなら、褌の幅は出来るだけ狭く、生地も出来るだけ薄いものを締めた方が良いだろうな。そうすれば、脚の捌きを邪魔されることが無くて、水泳パンツよりずっと泳ぎやすいはずだ。」と言った内容のことを、繰り返し話して下さったことを覚えています。

私は大人になってからも、海で泳ぐときには、なるべく空いている海水浴場に行って、六尺褌(18~20㎝幅)一本で泳いでいます。また、夏に習いに行く古式泳法の道場では、指導者は勿論、入門したばかりの小学1年生から70歳を超えた高齢者の講習生まで、男性全員が白の六尺褌一本で稽古に励んでいます。
私は、初めて六尺褌を締めて泳いだ小学生の時から、水泳ばかりでなく日本人男性のトレーニングウエアとして、六尺褌ほど適したものはないと思っています。

運営者より
海どじょう様より,昭和30年代後半の小中学校における,水泳に用いる六尺ふんどしの具体的な事情について,大変興味深い証言をいただきました。戦前の水泳選手の写真を見ると,幅が狭い六尺ふんどしを締めている写真が多いのですが,足の動きの障害を減じて,速く泳ぐためという目的があったのですね。貴重な証言をありがとうございました。 ふどし 拝

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