読者の広場

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投稿番号

投稿 41: 2016/07/05 02:42
ハンドルネーム
海どじょう
年齢 性別 職業 居住地
65歳 男性 年金生活者(兼団体職員) 山口県
表題
NHKラジオで「ふんどし学校」の体験が話題に
本文

昔話が専門の海どじょうですが、今回はごく新しい話題をひとつ。

NHKラジオで平日の午前中、午前8時05分から11時50分まで、「すっぴん」という番組が放送されています。曜日ごとに交代するパーソナリティーとアンカーの藤井綾子アナウンサーが、聴取者のお便り(電子メール、ファックス、封書)を読みながら、専門家の日替わりゲストの話を交えて展開していく、バラエティーラジオ番組です。

7月4日(月)は、パーソナリティーが宮沢章夫氏(1956年、静岡県掛川市生まれ)で、「プール」という主題でお便りを募って放送されていました。

パーソナリティーとアンカーは、「今プールでこんな健康法をしています。」とか、「うちのところにはこんな変わったプールがあります。」とかいった内容のお便りを期待していたようなのですが、8時台後半に、小中学校時代の水泳訓練で水泳帽をかぶっていたか否かのお便りが紹介されたところから、話が「学校の水泳授業での褌体験」の話にそれていきました。

宮沢章夫パーソナリティーが、水泳帽の話から、

「自分は、高校一年生の時の水泳訓練では、男子全員六尺褌だけで泳がされた。水泳訓練では水泳帽はかぶらなかったはずだ。

褌に水泳帽はないだろう。(今風の伸縮性のある水泳帽だけを想像しているようですが・・・・)

水泳訓練が始まる前に、一年生男子だけが集められて、体育教官が素っ裸になって褌の締め方の手本を示した後、生徒も全裸になって六尺褌を締める練習をさせられた。

男女共学校なのに、男は褌一本かよ、今時それはないだろうと思った。

褌を締めるのは結構難しくて、きちんと締められないと、泳いだあとで褌(の前袋)に隙間ができて中身が見えたり、はみ出したりして困ったし、恥ずかしい思いをした。

当時は郷土の英雄古橋広之進が絶対の時代で、浜名湖近辺の学校はみんな水泳に力を入れていたから、仕方がなかったのかな・・・。」

と話を進められました。

すると、ほとんど時間をおかずに、ほぼ同年配と思われる男性聴取者から、

「自分も、小学校時代赤褌だけで泳がされた。

小学生が褌をきちんと締めるのは難しくて、一泳ぎしてプールから上がると、褌の前が緩んで

可愛いチンチンが横から覗けて見えたりはみ出したりしていて、それをクラスの女の子に見られるのが、子供心にすごく恥ずかしかった。

それがトラウマになって、水泳も嫌いになった。今でも、なぜ男の子は赤フンで泳がされたのかと不満に思う。」

といった内容のメールが返ってきました。

聴取者からの類似のお便りはさらに数件あったようでが、このメールを見た宮沢章夫パーソナリティーが再度、 と話を進められました。

すると、ほとんど時間をおかずに、ほぼ同年配と思われる男性聴取者から、

「実は自分も、小学生の時も赤フンだけで泳がされた。小学校低学年の時は、褌をきちんと締めるのが難しくて、男子はみんなすぐに横チンやはみキンになったり、泳いでいるうちに褌がほどけて全裸になったりして、水泳の時間がいやだった。」

といった話をしたので、とうとう藤井彩子アナが強引に、話を水泳帽をかぶる必要性に戻してしまいました。

宮沢章夫パーソナリティーは私より5歳年下ですが、すでに子供の水着がほとんど水泳パンツになっていた昭和40年代半ばでも、東日本で水泳教育に力を入れている学校では、まだ男子は褌一本で泳がされていたこと、すでにこの頃には、男子児童・生徒は女子同級生の前で褌一本で泳がされることに強い違和感を持っていたことを改めて認識させられました。

運営者より
海どじょうさんこんにちは。面白いラジオ番組をお聴きになりましたね。東日本(東京)では,公立小学校でも,比較的長く褌が残っていた小学校もあるようです。タレントのなぎら健壱さん(1952年生まれ,現在64歳)が,もう20数年前のテレビ番組ですが,子どもの頃プールの時間が赤ふんだったと言っていたのを思い出しました。

投稿 42: 2016/07/08 20:37
ハンドルネーム
越中褌愛用者
年齢 性別 職業 居住地
63歳 男性 年金生活者 東京都
表題
褌四方山話し
本文

私が褌を愛用し始めたのは,以前述べましたが昭和46年頃日本橋の三越百貨店で,白の越中褌を販売していたのを購入したのが始まりでした。未だ20代前半の頃なので,白ばかりでなく色物も無いかと思っていました。

今ではネット通販を見るとカラフルな褌や,色々な柄物もありますが,当時は先ず望めないと思っていました。アングルのクラシックパンツの出現は,自分の中でセンセーションでした。白の他,サックス(淡いブルー),ピンク,イエローの四色でした。其れでも色物の褌は初めてだったので嬉しかったのでした。

以来,彼方此方のデパートや総合スーパー等で,販売していた越中褌をコレクションしてきました。でも最近齢のせいか,今改めて褌は白が一番だと思っています。

運営者より
越中褌愛用者さん,こんにちは。越中褌愛用者さんは,デパートで褌が市販されるようになった初期のころから褌を愛用しておられるのですね。私は,20歳ころに,三越で赤や黄色など色物の越中褌が販売されているのを発見し,大変喜んだのでした。アングルの色物も,晒を染めたもので良かったのですが,若いころは,淡い色はあまり好みませんでした。今日では,ネット通販でさまざまな色,柄のものから,女性用,子ども用のものまで手に入り,随分褌にも陽が当たるようになったな,と感慨深いです。

投稿 43: 2016/08/11 20:22
ハンドルネーム
海どじょう
年齢 性別 職業 居住地
65歳 男性 年金生活者(兼団体職員) 山口県
表題
六尺褌を日常生活で有効活用するには
本文

お暑うございます。昔話の語り部、海どじょうです。

この読者の広場に対する投稿には、毎回管理者の「ふどし」様が短いコメントを書いていらっしゃいます。以前のコメントの中に、短パンの下に越中褌をしていると、前垂れの布が腰回りの紐から外れて来て、短パンからはみ出して後ろに尻尾を引くようになる事を述べてから、「宛てとフンドシは先から外れる。」という警句で締めておられるのがありました。

私も、夏分越中褌の上に直にズボンを穿くときは、前垂れ布が長いとズボンの中でもそもそするので、以前は、前垂れ布がきわめて短かくなる九州屋さんの「布丈80cmの越中褌」を、長年愛用していました。ところが、この褌をした状態で、体を激しく動かす力仕事をすると、いつの間にかズボンの中で前垂れ布が紐から外れて、チンコの先がズボンの生地に直に当たって、困ったことになります。では、力仕事をするときだけは越中褌から前袋式の六尺褌に締め代えたらとも思いますが、それも1日のうちに何回もとなれば結構面倒です。

そこで思いついたのが、前垂れ式に締める程度の長さがある六尺褌の締め方を少し変えることでした。私は身長164cm、体重68kgで、ウエストが88cm弱ありますから、前垂れ式に締めるにしても、サラシ全幅の六尺褌なら、長さは鯨尺5尺8寸(220cm)~6尺(230cm)は必要になります。

全幅・鯨尺6尺の褌を、横ミツがヘソのすぐ下に来る位置にして、後ろは結び目にせずに水褌のように横ミツにそのまま3回くらい巻き付けるだけで、前垂れ式に水褌の時より心持ち緩めかなかなと言う位に締めます。ずっと家の中に居るとき、ズボンや短パンを穿かずに下は褌だけ、上に甚平や作務衣の上着だけ羽織るときは、前垂れ式にして股のところを緩めにしておけば、風が抜けて涼しく快適です。また、夜寝るときに、寝間着として使う甚平の上着の下に、六尺褌をこの締め方で前垂れ式に締めておけば、越中褌のように前垂れ布がいつの間にか外れることもなく、後ろの巻き付けもほとんど気になりませんから、これまた快適です。

外出したり力仕事をするために上にズボンや半パンを穿くときは、後ろの巻き付けを少し強めに、水褌に使うときくらいの固さに締め直し、前垂れ布も一度しっかり引き上げて股のところを密着させてから、前垂れ布の先を2,3回後ろ縦ミツに巻き付けます。前から見ると前袋式の締め方ですが、後ろから見ると後ろ横ミツへの巻き付けは片側しかなく、後ろ縦ミツの途中まで布か巻き付けてあるのが見えます。この締め方で六尺褌を締めた上にズボンや半パンを穿けば、動きの激しい力仕事をしても、褌が緩んで外れそうになることはまずありません。

なお、この締め方をする時の六尺褌は、薄手で目の粗い安物の晒し木綿の方が、使い勝手がよいのです。私は近くの「ホームセンター ナ◯コ」で作業用衣料として扱っていた、1反(普通は長さ10m以上保証が多いが、この晒しは長さ9.2m以上保証と短め)980円(税抜き価格)の、一番安物で薄手かつ目の粗い晒し木綿を買いだめして、この用途に使っています。

日常生活の中で、六尺褌を快適に有効活用する一つの方法だと思いますので、皆様も気が向いたら一度お試しください。

運営者より
海どじょうさんこんにちは。今回は,私の近年の悩み,「宛てとフンドシは先から外れる」(正確には,「当て事と越中褌は向こうから外れる」と言うのだそうです),つまり,海どじょうさんも書いておられるような,また,以前越中褌愛用者さんも同様のことを書いておられたような,越中ふんどしの前垂れがいつの間にか外れてしまう現象への対策となり得る話題を書いてくださり,ありがとうございます。私の場合,前垂れが外れて,長ズボンならともかく,短パンだと白や赤の尻尾がズボンの裾から出て,公衆の面前できわめて恥ずかしい思いをしたことが,一度や二度ではありません。エチケット違反としても最上級のものですし,ふんどしの大幅なイメージダウンになりますので,何とか対処したいと思っていました。海どじょうさんが六尺ふんどしで実践しておられる方法は,六尺ふんどしの簡易版の締め方というべきもので,六尺は締めるのに手間が掛かるので敬遠していた人に朗報ではないでしょうか? 前垂れを縦ミツに巻き付けて緩み防止にするというのは,前垂れ式と前袋式の良い所取りで,実用的でしかも手軽なので,初心者にも向くと思います。私も是非一度この方法を試してみようと思います。話題提供ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

投稿 44: 2016/08/15 18:42
ハンドルネーム
越中褌愛用者
年齢 性別 職業 居住地
63歳 男性 年金生活者 東京都
表題
褌四方山話し
本文

アニメの褌

  • みなみけの中で,ニュース映像で褌祭りとアナウンスしていました。

先回のコメントで父親の黒猫褌の事を述べましたが,手作りでは有りません。1967年頃,夏の三浦海岸のよろずやの軒先に黒猫褌を吊るして販売しておりました。買おうかと思いましたがやめました。今思うと買うべきだったかと思います。当時まだ海水浴場でも黒猫褌を売ってる処があったのですね。

高校時代,私の通っていた高校は当時男子高でした。其の為か廊下に生徒各自の私物ロッカーが有り,体育の着替えは廊下で着替えねばなりませんでした。しかも授業毎に毎回教室移動が有りました。

或る時の事,教室移動で廊下を歩いていると,或るクラスの生徒が着替えていました。彼はベンベルクのブリーフの下に白の黒猫褌をしていました。当時はベンベルクのブリーフを穿いてる生徒は多数居り,私もその一人でした。彼はサポータの替りに黒猫褌をブリーフの下にしていたのでしょう。

運営者より
越中褌愛用者さん,こんにちは。毎回楽しいお話をありがとうございます!1967年といえば,昭和42年ですが,昭和40年代に入ってもなお,黒猫褌が市販されていたのですね。黒猫褌はもともとサポーターとしても使えるものとして売られていたようです。私は,英語で "Supporter" の文字が入っている黒猫褌を資料として所有しています。大人は水泳パンツのサポーターとして,子どもはそのままふんどしとして用いていたようです。

投稿 45: 2016/08/23 05:15
ハンドルネーム
海どじょう
年齢 性別 職業 居住地
65歳 男性 年金生活者(兼団体職員) 山口県
表題
キンツリ(黒猫褌)はひっそりと消えていった
本文

すぐ上の越中褌愛用者さんの記事を読んで思い出したことを少し。

私の住んでいる山口県の瀬戸内側では、昭和30年代男の子の間では、黒猫褌のことを「キンツリ」または「サッポウタイ」と呼んでいました。

昭和38年に旧市内の附属中に進んだ頃は、まだ市の中心商店街にある「よろず衣料品店」でも、6月末からはキンツリを束(10枚結束)のまま店先の平台に並べ、その脇に立てた短い棒に2,3枚つるして販売していました。チンコと金玉を隠す三角布と尻の割れ目を隠す縦ミツが昔ながらの黒麻布の粗悪品は子供用が1枚5円、大人用が10~15円くらいでした。この安物の品でも、腰回りの紐はもう木綿の真田紐になっていました。

私たちの中学校の指定水着である赤六尺褌を売っていたスポーツ用品店でも、黒の競泳用ナイロンパンツの下に着けるサポーターとしてキンツリを販売していました。ビニール袋に入った競泳用パンツと並べて、レジのすぐ脇のガラスケースの中に陳列してありましたが、こちらのキンツリは1枚ずつ硫酸紙の袋に入れてあり、表に「サポーター」と書いてキンツリ一枚の男性が水に飛び込む絵を添えたラベルが貼ってあって、1枚40~50円位で売られていました。もちろんスポーツ用品ですから、しっかりした黒木綿(たぶんブロード)製で、腰回りの紐もがっちりした木綿の真田紐でした。

キンツリは水泳パンツの下に着けるサポーターとしては有効でしたが、球技や体操をやる際ユニフォームの下に着けても、チンコと金玉のブラブラを完全に止められないので、この頃の運動部員は、試合に出る時には、下着のデカパンの上に黒の競泳用パンツを穿くか、パンツの上に半幅の白六尺褌を締めてからユニフォームの短パンを穿いていました。

私が高校に進んだ昭和41年前後からは、価格が一桁違うオールゴムバンド製の「ケツ割れサポーター」がスポーツ用サポーターとして普及してきて、高校の時の体育教官のうちで一番若い体操専攻の教官は、水泳パンツの下にこの「ケツ割れサポーター」を着けておられました

私が高校指定のSスポーツ店で最後にキンツリを買った昭和43年の夏には、もうキンツリは附属中と白中指定だった15cm幅の六尺褌と並んで在庫処分品の扱いで、レジの横に置かれた小さな籠の中に、えんじ色の六尺褌2本とキンツリ3袋ばかりが、一緒にひっそりと置かれていました。

各種目のユニフォームが陳列されているガラスケースに一緒に展示されているのは、ゴムバンド製のケツ割れサポーターと当時出始めたばかりのニット製のブリーフ型サポーターだけになっていました。

キンツリ(黒猫褌)は、昭和40年代前半に、山口県のような田舎の町からも、ひっそりと消えていったのです。

運営者より
海どじょうさんこんにちは。山口県における黒猫褌の終焉について,貴重なお話をどうもありがとうございました。やはり昭和40年代前半までなのですね。私はその昭和40年代のはじめごろの生まれですが,プールや海水浴場で黒猫褌を身に着けた子どもを見た記憶はありません。ところで,最近復刻と称して黒猫褌が再び市販されるようになっています。往時のものを再現しているという褌屋さんの製品は,腰で紐を結ぶようになっていますが,他のメーカーの製品に,六尺褌を締めるように,横褌を縦褌に引っ掛けて横褌に巻き込んで締めるタイプのものも見受けられます。そのようなタイプの製品も,昔存在したのでしょうか?

投稿 46: 2016/08/25 09:24
ハンドルネーム
海どじょう
年齢 性別 職業 居住地
65歳 男性 年金生活者(兼団体職員) 山口県
表題
黒猫褌のデザインについて
本文

すぐ上の私の記事に対する管理者「ふどし」様の疑問について少し書きます。あくまでも、昭和30年代の山口県瀬戸内側の事情として、ご理解願います。

私の幼・少年時代、実際に自分が身に着けて水遊びしたり、他の子供たちが身に着けて泳いでいた黒猫褌、土地の言い方では「キンツリ」または「サッポウタイ」のデザインは、現在京都の「褌屋」さんが復刻して販売していらっしゃる形だけで、他の「九州屋」さんや「たぬき堂」さんなど多数の褌専門店が採用していらっしゃるデザインの物を見たことはありません。

昭和30年代に市販されていた黒猫褌は、なるべく材料の布地を倹約し、かつ製造の手間を省いて安価に売ることを目的にした物だったので、現在主流の前袋部分の三角布底辺部分に紐通しを袋状につくる手間をかけ、長さ1m50cmは必要な別縫いの木綿の紐を作って組み立てていては、コスト的にとても引き合わなかったと思います。

私が通っていた附属中学校指定の、赤木綿の洋生地(ブロードかキャンブリック)を長さ220cmに切って、縦に15cm幅に裂いただけ(両耳の縁縫いは無し)の赤褌が、1本60円で売られている時代に、粗悪品とはいえ子供用のキンツリが1枚5~10円、スポーツ用品店で売られている高級サポーターでも1枚40~50円で売られていたわけですから、現在主流のデザインで、しかもオール木綿製で作ることは、商業的にとても無理だったと思います。

ただ、現在の主流デザインに極めて似た考え方による「子供用六尺褌もどき」は、私が幼稚園の時と小学1年生の時、母親の職場の親睦海水浴で締させられたことがあります。これは、自分で六尺褌をきちんと締めたり増し締めしたりすることが出来ない男の幼児に、フリチンでなく名目的にチンコと金玉を隠している格好をさせるための物で、母親の手作りでした。

幅10cm、長さ1m50cmくらいの細長い木綿の布の片端を30cm足らず折り返して、端を縫い止めて前袋になる部分を二重にします。二重になっている方の先端10cm位のところをもう一度軽く縫って、紐通しを作っておきます。

幼児に締めてやるときは、布が二重になっている先端の紐通しをヘソのすぐ下にあてがい、一重の方の端でチンチンと玉を包むように股を通し、胴を回すときに前袋上端の二重になっているところの紐通しを通してから、後ろの縦ミツのところでしっかり引き上げて固く締め込んで折り返して、片蝶結びにしてから余った端を縦ミツに上から巻き付けておきます。

こうすれば、前袋部分が緩んでずり下がりチンチンや玉が横からは丸見えになっても、一応正面からはチンチンや玉は見えませんし、完全にずり落ちることはありませんでしたから、フリチンで遊ばせているのではないと格好を付ける役割は十分に果たしていたと思います。

戦後すぐから昭和30年代初めまでの、幼児や小学校1、2年生くらいの男の子の海水浴風景を写したスナップ写真を拡大してみると、一見六尺褌を締めているように見えても、実はこの「六尺褌もどき」を着用していると思われる子が結構見受けられます。

「ふんどしの証言」に掲載して頂いた黒猫褌に関する記事に添付した写真を見て頂ければ、戦前の大人用黒猫褌は生地は粗悪でもかなりゆったりした仕立てだったこと、また「褌屋」さんが復刻していらっしゃる黒猫褌のデザインが、黒猫褌全盛時代の形をほぼ忠実に再現した物であることがお分かりいただけると思います。

私は「九州屋」さんから購入した現在主流のデザインの黒猫褌も持っていますし着用したこともありますが、確かに六尺褌を締めなれた大人が、これ1枚で泳ぐのならば緩まぬように固く締めやすく、適当なものだとは思います。ただし、日本が貧しかった時代に、水着として使用された「キンツリ」、「サッポウタイ」とは別物の、豊かになった日本で生まれた「新黒猫褌」だと思っています。

運営者より
海どじょうさんこんにちは。早速,貴稿に対する私の疑問に答えてくださり,ありがとうございます。なるほど,「九州屋」さん等のメーカーが製品化している黒猫褌は,「キンツリ」とも呼ばれていた往時の黒猫褌とは別物のようですね。おっしゃるとおり,コスト面から考えると,紐の長い「新黒猫褌」は,日本が豊かになったからこそ生産できるようになった,とも解釈できそうです。往時の「子供用六尺褌もどき」のお話しも興味深いですね。その頃は,子どもや家庭に必要なものはお母さんができるだけ手作りをしていたのですね。雑巾でさえ100円ショップで買ってくる今日とは大違いですね。

投稿 47: 2016/08/27 15:51
ハンドルネーム
1151
年齢 性別 職業 居住地
80歳以上 男性 年金生活者 東京都
表題
「キンツリ」の終焉
本文

「キンツリ」につて、8月25日「・・・横褌を縦褌に引っ掛けて・・・」とありましたが、戦前から戦後の30年代まで雑貨屋、水泳場などで売られていたのは、そのようなものではなく、褌屋の写真にあるように、腰で紐を結ぶようになっていました。小型は前袋の両脇にプリーツが1本ずつ、大型というか、大人用は前袋の幅が広いので多数あり、性器を収納するようになっていました。また、既製品には前袋の上部の左か右に、必ずメーカーのマークが入っていました。現在、売られている黒猫の大部分は、水泳とは関係がないようですし、「キンツリ」とは言えません。

戦後のことは、「海どじょうさん」が詳しく書かれているので、私は戦前、戦時中の話をしましよう。大正時代の海水浴の写真には「キンツリ」はありません。昭和に入ってから、ごくわずかの布と簡単な手作業で出来る「キンツリ」が作られるようになったようです。覚えているのは昭和10年ころで、海で「キンツリ」をして遊んでいました。その後、4、5年生のころ、日中戦争が始まってまもなくですが、夏休みに、臨海学校に行きました。朝食後、私を入れて多くが「キンツリ」になり、男女2グループに分かれて、ラジオ体操の第1と第2を2回繰り返したように覚えています。その後、水泳の講習がありましたが、泳力別で男女一緒でした。最も泳げないクラスに入ったので女子が多く前袋に水が溜まって、これを常時上に持ち上げたり、下がった横褌や後縦褌を上に上げたりするのを、至近距離で興味深そうに見ていました。女子にはこの動作は必要ありませんからね。

昭和14、5年になると、いよいよ物資不足で布が無くなったのと、日光浴が健康に良いとのことで、それに適合した「キンツリ」の全盛時代となりました。これが、戦後、暮らしがよくなると、昭和30年から40年の間に姿を消してしまいました。誰もが、もっと高価なパンツを買えるようになったからでしょう。

中学校に入った夏、「キンツリ」で庭にいたところ、手伝いのお手伝いさんが、前袋の横が開放されているのを見て、大切だから袋に入れているのだと、実物を見ながら、その将来の使用について話してくれました。また、このころ友人から6尺の締め方を習い、これを「キンツリ」と併用しました。私も「海どじょうさん」が書かれているように, 幅が狭いのが好みで、さらしを1/2幅にして使いました。下腹部が大きく覆われるのは好みではありませんでした。6尺褌の良いところは、海浜や川辺などで相撲をとったりしてあばれても、容易にはずれないことです。水泳だけでなく、いろいろ使えることです。問題なのは、さらしの相撲褌(まわし)で、友人同士で初めて締めたときは、なかなかうまくいかず、長時間締めたり外したりでした。また取組中にすぐ緩み、よくはずれました。前褌は薄いさらし一枚をたたみ半分にして二重にしただけでしたから、心細いものでした。

「海どじょう」様が、川で見た濡れた「もっこ」のお話しをされていましたが、私も田舎町の肉屋さんが、薄いさらしの「もっこ」だけで屋外で腰掛けているのをみたことがあります。殆ど丸見えでしたが、終戦直後の何もない時代でしたから誰も気にしなかったのでしょう。「もっこ」は作業用としては、前垂れがないので作業には越中より便利だったと思います。

終戦直後といえば、暑い夏でした。9月初旬、川辺で小学生が5、6人、「キンツリ」で馬跳びをして元気に遊んでいるのを見て、本当に戦争は終わったのだと思いました。

このころは、物がなくなんでも売れたようです。洋服屋を訪れたら、赤い腰巻の端切れで「キンツリ」を作っていました。私も自家製を買って利用しました。闇市では古切れで作られた「越中」が売られていました。

運営者より
1151さんこんにちは。お久しぶりです。戦前,戦時中の「キンツリ」こと黒猫褌の事情について,詳しいお話をどうもありがとうございました。昭和時代に入り,物資が不足する中で生まれたのが「キンツリ」ということなのでしょうね。腰で紐を結ぶタイプ,つまり今日「褌屋」さんが復刻販売しておられるタイプのものが,「キンツリ」としては正統派ということでしょうか。終戦直後は本当に物がなく,大変な時代でしたでしょうね。貴重なお話をありがとうございます。今後ともよろしくお願い申し上げます!

投稿 48: 2016/08/29 18:05
ハンドルネーム
越中褌愛用者
年齢 性別 職業 居住地
63歳 男性 年金生活者 東京都
表題
褌四方山話
本文

褌と云う語源は何処から来たのか色々な意見が有りますが,越中文俊著「新ふんどし物語」にこんな記載が有りました。「踏み通し」「ふみとおし」ではと述べておりました。其の事でふと思ったのは,布を股の間に通して止めるから「布通止」じゃないか。此れは飽く迄個人的見解ですが。

六尺褌ですが普通には余り布を股に通して後ろへ持ってゆき,後ろ褌に絡げる締め込みが一般的です。私も六尺の時は後ろへ締め込みますが,江戸時代は余り布は越中褌同様前に垂らすのが普通でした。浮世絵や幕末から明治始めの頃の風俗写真でも其の様にしていました。で,前垂れは三角に折り畳んだり,二等辺三角を左右に作り前から見ると前袋と合わせてM型にしたり,四角状に折り畳み垂らすなど,色々御洒落な締め方をしていた様です。

私も一度六尺を締めた時,試しに三角にしてみた事が有ります。

運営者より
越中褌愛用者さん,こんにちは。今回も楽しいお話をありがとうございます。「褌」の語源は「踏み通し」がなまったもの,という説が有力なようですが,「布通止」(ふどし)から来るという説も面白いですね。江戸時代の前垂れ式六尺褌の締め方について,お詳しいですね。いろいろお洒落な締め方をしていたとのこと,教えていただきありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

投稿 49: 2016/09/19 18:41
ハンドルネーム
越中褌愛用者
年齢 性別 職業 居住地
63歳 男性 年金生活者 東京都
表題
褌四方山話
本文

皆さん褌の一般的イメージは如何でしょう。

やはりエプロンみたいに前に下がっておる,前垂れ若しくは下がりだと思うのです。

時代劇ドラマやチャンバラ映画等で,着流しの侍が立ち回りする時,裾が割れて下から白い布がチラリと見えるのは,何とも云えぬ色気が有る物です。歌舞伎の助六縁起江戸の華で,助六が大股広げ緋色の褌を見せる。黒羽二重の紋付の裾から見える緋色の下がりとの色の対照が,色気を醸し出します。

何故か此の前垂れ(下がり)という余分な布の存在,此れなくして褌は語れぬと思うのです。ブリーフとかトランクス,ボクサーブリーフ等では此の様な余分な物は無いです。嘗ては六尺褌も,前袋を二重に締め込まず,前に下げるのが普通でした。現在は越中褌以外は余り布を前に垂らす事は無ですね。

以前述べたと思いますが,越中褌の前垂れですが,短くても又あまり長すぎてもおかしいものです。私は膝小象が隠れる長さがベストと思います。大体布の長さは120cm位だと膝丈になります。現在市販されて居る越中褌は大体100cm位が平均的です。アングル社のクラシックパンツは最近の製品では110cm位の長さです。私の越中褌コレクションの中には市販品で90cmのも有ります。

余り短い越中褌ですと,長時間着用中,布が紐から外れてしまう事があります。やはり程々が肝心でしょう。

運営者より
越中褌愛用者さん,こんにちは。毎回楽しいお話をありがとうございます!歌舞伎にもお詳しいのですね。褌は,かつては一人前の大人の男であることの象徴でしたから,歌舞伎などで着物の裾を広げ,褌を誇示したのは,自分は一人前の男である,ということの表明であったのでしょう。黒猫を含むもっこ褌や,前袋式六尺褌を除けば,ほとんどの褌には前垂れがありますね。前垂れの長さは人それぞれ好みがあると思いますが,あまり短いと,着用中に前垂れが紐から外れてしまうのは,おっしゃる通りです。私も何度も経験があります。以前はあまりなかったのですが,太って体格が良くなってからは,しばしばあります。お腹が出ていると,どうしても締め方がゆるくなりがちなのが原因のようです。

投稿 50: 2016/09/19 18:41
ハンドルネーム
越中褌愛用者
年齢 性別 職業 居住地
63歳 男性 年金生活者 東京都
表題
褌四方山話
本文

褌と云うと,ポピュラーなのは越中褌,次いで六尺褌,そして畚褌及び黒猫褌ですね。他に割褌と云うのが有ります。六尺より少し短い140~160cm位の布の片端の真ん中を,布の長さの1/3位迄切り裂き,其れ以上裂ぬ様,縫い付けた物です。

裂いた部分を一結びして背後に廻し,腰に巻き付け捻じ込み,後ろに下がっている幅広の布を六尺と同じ様に尻に押し込み,前迄引き出し,後は越中と同じく前に絡げて余り布は下げるだけです。越中褌と六尺褌の良い所取りの褌で,別名六越褌とも言われております。

嘗ては武士が愛用して居た様です。戦国時代には下がりの部分に紐を縫い付けて,其の紐を首に巻き付け,ズレたり揺るませたりせぬ様にして戦に向かったそうです。其の為戦褌とも言われてます。後の時代に半分に引き裂いた方を切捨てて,紐の方を腰に締める事で越中褌の基になったと云う説もあります。

私もニ本割褌を持ってますが,一度だけ試しに着用しただけで,後は其の侭コレクションとして残してます。理由は別に有りませんが,越中褌が主体の生活ですので敢て使用しないだけです

運営者より
越中褌愛用者さん,こんにちは。毎回「褌のよもやま話」をありがとうございます!今回は「割褌」のお話ですが,私は子どもの頃,試みに作って締めた経験がありますが,そんなものかと思っただけで,もっぱら越中褌や六尺褌の方に関心が向いていました。それ以外の褌というと,相撲の廻しやお祭りの締め込み,黒猫褌などに興味があったのですが,手に入れる方法がわからず,本物を着用できたのは,成人してからでした。越中褌愛用者さんは,色々な褌の話題をおもちですね。これからもよろしくお願いします!

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